2022/01/11 16:50
昔の私のことを書いたら、反響があったので、ちょっと紹介しようと思います(笑)
最近お友達になった方は、
私は元々 陽気で軽く 家族仲がいい人だと思っているようで、
いやいや、全くそんなことはない!!!笑
先の見えない暗闇のようなトンネルを、半分死んだような意識で徘徊するような人生を生きていたのだよ!!
誰かの支えになればと思い…①~⑤までシリーズ化。
とはいえ既に、前前前世くらいの印象で…
いろんな物が解消してしまったので、頑張らないと思い出せない記憶たちです^^
それからね、このブログ、家族や親戚も読んでいるのですよ笑
私は自分の失敗談を話すのはちっとも構わないのですが、皆さんに認知していただけたら嬉しいのは、私の育った環境は、ちょっと変わっていたけど「不幸ではなかった」。
両親は子どもたち4人全員国立大に入れ、確かにちょっと家計が厳しい時もあったけど、一生懸命、私達を育てあげてくれました。.:*:・’°☆
でも、子どもの時の私の思考があまりにもねじ曲がり、ひねくれていたため、私から見えるこの世界は、最悪でした。
同じ世界であっても、多感でマイナス思考で思い込みが強い人にはこう見えていたのです。親の育て方が間違っていた訳ではないので、私の家族をご存知な方は心配しないでくださいね!
◼️自分嫌い、人間嫌い、生まれたことを後悔する10代~20代始め(広島時代)
私は4人きょうだいの長女として産まれました。私の下に、年子の弟がいて、しかも弟は双子だったもんだから、典型的な「親戚一同からの愛を一身に受けた末、弟たちにとられる」パターンと、
「しかも弟は超未熟児で失明するかも」「親、弟にかかりきり」という状態で、「ああ、私はもうお母さんから必要ないと思われてる子なんだな…」(←ありがちな勘違い笑)
しかし、しおれるタイプではなく、「寂しいから弟をおしのけて私が愛を奪いにいくジャイアン」スタイルで、実家のアルバムには、私が弟をおしのけてガキ大将のように威張っている写真が沢山残っています笑
その後、妹も産まれました。
父は会社員で、私たちが小さい頃はとても貧乏していて、ボロボロの小さな借家に住んで、母はパートに出ていました。両親は新興宗教を熱心に信仰していて、善良だけど貧しく、子供ながらに、いつも私は怒っていました。
なんでうちは貧乏なの⁉️
よその子になりたい‼️
お金に困らない状態じゃないのに産むのは無責任だ‼️
そして親は、信仰の仕方が少しねじれていて、幸せになるために信仰するのではなく「前世で犯してきた罪を償わないといけない」「お詫びする」のような自己を罰しながら善行を積もうとしている人でした。
「申し訳ない」「相当前世で罪を犯してきたんだね」と口癖のように言う親を目の当たりにして、
(私は生まれてきてはいけない子だったんだな) (生きていると迷惑をかけてしまうんだ)と心の中で重苦しさを感じていました。
これは思春期に入り親への反抗心から怒りに変わりました。小学校の高学年くらいにはかなりませていて、性格がひねくれていました。
親を逆恨みして、思い通りにならないことはすべてを親のせいにしていました。
こんな家に産みやがって!!!
こんな不細工に産みやがって!だれも産んでくれなんて頼んでないのに!!
あーーー産まれて損した!!
人生なんて早く終わってしまえ!!
いらいらしていたもう一つの訳は、
強烈な「強い生きづらさ」。
感性が敏感すぎて、ちょっとしたことを言われて傷ついたり、死にたいくらい落ち込んだりしていました。本当に死にたいと何度も思って、でもこんなに苦しいのに親は気づかない(実は母親も鬱がちで、自分のことでいっぱいいっぱい。彼女は自分の苦しさを消すために宗教の活動に励んでいました)。
私のことは誰も見てくれないんだな…そんな孤独感を募らせました。
小学校高学年くらいから
「この世界は誰が作ったんだろう?」
「人は全員死ぬのに、なんて生きるんだろう?」
「私って誰なんだろう?」というような永遠の謎が浮かびはじめ、
答えがどこにも見つからないということにイライラしていました。
「生きる意味がわからない…」
「誰からも必要とされてないな…」
と極端に考える闇の深い中学、高校時代は、太宰治、リチャードバック、パウロコェーリョ、そのたくさんの本、本。本を読み、本が友達でした。哲学の本を読み、宗教の勉強をして、「この世界がある訳が分かったらこの生に納得するのでは」と、本の中に答えを探しましたが見つかりませんでした。
ただ、プライドだけは一人前。心の中でキラキラしたクラスメイトをばかにすることで自分の価値をあげようとするのでした。
親も、当時の私は怖かったって言います(笑)
■人生を呪い親を呪った、怒りの10代が終わり、大学デビュー
大学は推薦で国立大へ。
大学デビューしないと!
ここでキャラ変!笑
陰キャに厳重に蓋をして、ひょうきんなピエロキャラを演じることにしました。
(生きる苦しみを封印してのピエロ🤡なので、闇はさらに加速😅💦)
こんな私でも産まれてきたからには、
何か人生の目的があるんじゃないか?
その希望は、「天職探し」「自分探し」へと私を誘いました。
絵を描いてみたり、
大学では演劇をしたり、
青春18切符で日本中旅をしたりして卒業はしたけれど、
就職せずにバイトして貯金をし、東京のデザインの学校に行きました。
私をこんな世界に産んで
苦しめた両親が、
広島駅まで見送りに来てくれました。
親に、心からの感謝なんかを言える筈もなく、
東京へ。
好きじゃない家族
好きじゃない街
好きじゃない自分を置いて
人生をリセットしたかった。
自分を知っている人がいないところへ、行きたかった。
(マイストーリー②へつづく)