2022/01/11 16:59



被害者のような人生を生きていた私は、

それでも自分には何かあるんじゃないか。

存在価値を見つけるんだ!と、

人生をリセットすべく東京へ。



◼️根なし草のような生活

なんと、東京にいたわずか3年間で
引っ越した回数5回
仕事を転職した回数4回


なぜかこんなに多いかと言うと、
コミュ症で人との関係を築けなかったから!!



独り暮らしは初期費用がかかるので、住んだのはシェアハウスでした。
住吉、芝公園、両国、沼袋と、転々としました。


東京には沢山のシェアハウスがあります。
あの「テラ〇ハウス」は演出入ってますけども、やっぱり他人との共同生活なんですね。


人嫌い
人が苦手
深い関係築くの怖い…


そんな私は、一ヶ所に半年くらい住むと、
他人と一つ屋根の下で暮らすのが苦しくなる。
でも、人には仮面をつけている私は、


こんなことをシェアハウスの住民に話せる訳もなく、ろくに他の住民と交流できずに、違う所へ引っ越し…


というのが、正直な気持ちなのですが、
本当の気持ちには蓋をして、
「新しい環境に行きたいんだよね~~~!!!」
と、意識高いフリして引っ越すパターンでした😅



仕事に関しても同じ。意識高い仮面をつけて入社するものの、人との関係がうまく築けず、
かといって上司に相談したり、同僚に正直な気持ちを言うこともできず、


おまけに気分屋で、
(楽しいことしかしたくないよ)
(こんなの誰でもできる仕事じゃないか…)
(人生一度じゃん!新しい仕事探そ!!!)


と、一見意識高いけどかなり無責任な態度で、
転職を繰り返しました笑(こういう性格は、”真面目系クズ”と言うらしいよ笑)



やりたいことしてるはずなのに、続かない

私は24歳のとき上京しました。東京の晴海にあったインテリアデザインの学校に通うために、広島で掛け持ちバイトして貯金をし、学費も生活費もすべて自分で払いました。


大学は国立大の教育学部の美術の教員を養成する学部で、多分、人から見れば申し分ない学歴なのに(教員免許も取った)


演劇サークルにのめり込んでしまい、大道具さんとしてトンカチ(通称:なぐり)🔨ベニヤ板、コンパネと戯れ、ジャージで青春時代を過ごしてしまい、恋して告白した人には「そんな対象に見えない」とフラれながら笑
学生ライフを楽しんではいたのですが、


「私のしたいことはこれじゃない病」がひどくて…


絵画も彫刻もデザインも、ひととおりかじったけど、これだ!ってものが見つからず、
でも、「これがしたかったことだ!」「このために自分は生まれてきたんだ!」って感覚を感じたくて、自分探しを続けていたんです。


4大を出た後、わざわざ東京の学校に大金払って入学し、
人の3倍くらい課題をこなし、
卒業制作で最優秀賞をもらいました。


けど、自分が根本的に好きではなく、自分を肯定できなくて、真面目系クズの私は、
デザインの仕事をしようにも心が打たれ弱くて、


デザイン事務所のバイト中、自分の学校で学んだスキルが実践の現場では役にたたないことで
すぐ落胆し退職。


そのあとは工事現場で作業着を着て、大工さんみたいなことしたり、
お金が底をつくとラブホテルの事務をしたり、
パワーストーンの会社でカタログを作ったり、
自分が作ったアクセサリーを売ったり、


なんかもう、根なし草のように転々と、なにか自分に向いているはずのことを探していました。



どこにも居場所なんてない

いつも頭の片隅には
「私の人生これでいいんだろうか」
「生まれてきた目的をみつけたい」
という想いが、もやもやとありました。


この頃父が病気を患い、母も鬱になり、でも遠くに住む家族のことは心の中からシャットアウトしていました。





お金もない。
誰にも本音が話せない。
彼氏にも本音が言えない。
他人に偽りの自分しか見せてないけど、


そもそも、本当の私って?
私って何??
夜中転職サイトをいくつも巡回し、私が本当にしたいことはなんなんだろう?

って夜が明けるまで探し続ける。涙が止まらない夜が何度もありました…


でも、ある日大阪に進学した妹が、「東京の私のアパートに10日ほど泊めて」ってやってきたのです。

こんな、社会性ゼロの私のアパートに。

(③へつづく)

マイストーリー③